NIT MOT Letter #72

平和と世界市民としての企業 ~ロシアのウクライナ侵攻からSDGsゴール16を考える~

  • 中村 明
  • 2022年07月07日

2月24日にロシアがウクライナに侵攻して以来、多くの人が改めて平和への思いを強くしているのではないかと思う。多くの犠牲者が発生しているこの非人道的事態をどうすれば終結できるのか、戦禍にさらされるウクライナの人々に何かできることはないか、そもそもなぜ起きたのか、国連安保理はこのままで良いのか、などといったことを自問自答している人も少なくないのではないだろうか。

 第2次世界大戦後、国際社会は核の拡散を抑えることができなかったが、長年保有国の首脳自らが核使用について公言することはロシアも含めてなかった。核を保有したとしても相互牽制による抑止としての目的が大きく(核の先制使用に対する報復リスクが大きく)、今までは実際の核使用に至る可能性は極めて低い(相互確証破壊:Mutual Assured Destruction)というのが大方の理解であったのではないかと思う。ところが近年、プーチン政権は核使用の可能性を公にほのめかすようになってきた。2014年のクリミア併合時などにも核保有国であることに言及し、今回は核使用の可能性を示唆することによりNATOなどの西側諸国の関与を牽制した。そのような状況の中、戦時下での情勢を有利にする戦術的な小型核の使用の可能性についての議論が専門家からも指摘されるようになってきている。しかしながら、そもそも国連の常任理事国であり、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの核放棄に当たりその安全保障を定めたブダペスト覚書に署名(1994年12月5日)しているロシアが、核使用に言及しつつウクライナに軍事侵攻することは、従来の認識からは想定しにくいシナリオであり、今後の国際秩序の維持、核軍縮・不拡散、安全保障のあり方などに新たな議論を生起することになるであろう。

 1989年11月のベルリンの壁の崩壊、さらにその後の1991年のソビエト連邦の崩壊により、東西冷戦が事実上終結した。東西の対立の構図は大きく変化し、旧東側諸国の分離・独立、民主化は大きく進展した。その一方でバルカン半島、コーカサスなどを含め、旧ソ連圏及びその周辺では、様々な紛争が発生し、現在でも不安定な地域が多く存在する。第2次世界大戦後、世界規模の戦争は発生していないが、旧ソ連圏以外でも、アフリカ、アジア、中東、中南米など、世界の多くの地域で現在に至るまで紛争は頻発している。スウェーデンのウプサラ大学のデータベース(Uppsala Conflict Data Program)によると、第2次世界大戦終結後の1946年以降も年間15~55件程度の紛争が世界のどこかで発生し、東西冷戦終結後の1991年以降も短期間に大量虐殺が発生したルワンダのケースを除いても、10万人前後の犠牲者が発生している年も少なくない。

 近年の紛争の特徴として、一般大衆の犠牲者の増加という点に注目する必要がある。第1次世界大戦では5%程度、第2次世界大戦では50%程度であった一般大衆の犠牲者は、1990年代以降は80~90%に増加したことが指摘されている(Institute for Democracy and Electoral Assistance(1998))。それに伴い、難民、国内避難民の増加、女性・子供・高齢者・障害者などが社会的弱者に陥る状況なども顕著になっている。また、民兵、民間軍事会社、国家以外の国際組織の出現などの新たな戦争アクターの出現、子供が軍事利用される児童兵の問題など、紛争現場の問題は多様化、複雑化してきている。紛争に関連してもう一つ認識が必要なのは、紛争が終結した国家のおよそ半数が5年以内に再び紛争状態に逆戻りしているという点である(紛争の再発リスクを指摘する文献は複数あるが、例えば“Post Conflict Risks”, Collier, Paul, Anke Hoeffler, and Mans Söderbom(2008))。これは、潜在的な紛争要因を完全に取り除くことが簡単ではないことを意味している。この点についての筆者の考えについては後述する。

さらに、グローバル化が進展した国際社会においては、直接的な戦闘に巻き込まれていない場合においても、国家、企業、個人のレベルで様々な形で地域的な紛争の影響を受ける可能性がある。そもそも多くの国は食料、エネルギー、資源などで相互依存している他、グローバルな人の移動と交流は増加している。また、多くの企業のサプライチェーンはグローバル化しており、紛争やそれに伴う経済制裁などの影響を受けやすい状況にもある。昨今では、ESGに対する国際社会の意識が高まっており、人権侵害を行っている国家との関わりや企業活動が直接人権に与える状況などの人権デューデリジェンスへの対応について国際社会や投資家などより厳しい目で見られるようになっている。日本のように長らく戦火の伴う紛争の発生していない国家にいると戦闘状況の発生の可能性を実感できない面もあるかもしれないが、世界の安定と人類の繁栄に平和は不可避の条件であり、紛争予防、平和構築は国際社会、企業、世界市民ひとり一人にとって、大きな課題であることを認識しておくことが肝要である。

それでは、この紛争という問題に企業や一般の個人はどのように向き合えば良いのであろうか?

 筆者は以前国際協力機構(JICA)という組織に在籍し、平和構築支援のプロジェクトに関わっていたが、当時、平和を考えるアプローチとして、①軍事的枠組み、②政治的枠組み、③経済・社会的枠組みの3つがあると整理していた。この3つのアプローチのうち、JICAのような開発協力機関、NGO、企業、一般の個人などが関われるのは基本的に③のみになる。他方、戦闘状態にある状況下でその停止に向けて、直接的な効力を発揮するのは、主に①軍事的枠組み、②政治的枠組み(政治主導による経済制裁などは②の一部とみなせる)となる。残念ながら、③の経済・社会的枠組みが戦闘下においてできることは限られている。傷病者の救護、避難民の支援、食料・水・医薬品、その他生存に必須の備品を供給するといった支援は、人道支援と呼ばれ、③に区分される。しかしながら、人道支援は、戦禍に晒される人々の命を守る上で極めて重要な活動ではあるが、紛争そのものを停止させる手段とはならない。

では、平和との関係で③の活動の意義はどこにあるのであろうか?

 紛争による戦闘状態にある段階を有事(異常時)とすれば、その前後には戦闘状態にない平時が存在する。もともと有事(異常時)にできることは限られており、紛争前後にある平時こそ、紛争予防、平和構築に向けて、様々な取り組みが可能な期間であり、③の経済・社会的枠組みが大きな役割を果たす。ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングは、積極的平和(Positive Peace)と消極的平和(Negative Peace)という2つの平和の概念を提示しつつ、積極的平和の重要性を指摘している(“Theories of Peace-A Synthetic Approach to Peace Thinking”,Johan Galtung,1967)。消極的平和とは、戦争がない状態であり、直接的暴力(戦争、暴行、脅迫、レイプ、残虐行為、テロ、殺人、民族浄化、強奪など)がない状態のことである。他方、積極的平和とは、戦争が起きる原因がない状態であり、直接的暴力に加え、構造的暴力(社会に内在化する貧困、差別、抑圧、搾取、不平等、不公正、欠乏、自由・機会・移動・権利の制約など)及び文化的暴力(戦争や暴力の容認や無関心など)がない状態のことである。前述のとおり、紛争が一旦終結した国のうち、約半数が紛争に逆戻りしているという状況を踏まえても、我々が恒久平和に向けて目指すべきは、消極的平和ではなく、積極的平和であるというガルトゥングの指摘は正当であろう。積極的平和が意図するところは、結局は、“誰一人取り残さない(No one will be left behind.)”という包摂的社会の実現を念頭に置くSDGsの理念と通じる。

SDGsが記載される“持続可能な開発のための2030アジェンダ(Transforming our world: the 2030 Agenda for Sustainable Development)”の前文には、People(人間)、Planet(地球)、Prosperity(繁栄)、Peace(平和)、Partnership(パートナーシップ)からなる5つのPの概念についての記載がある。この前文では、人間(1つ目のP)と地球(2つ目のP)を守り、繁栄(3つ目のP)を目指したとしても、平和(4つ目のP)が脅かされれば持続可能ではなく、この4つのPの統合的達成が必要であるということ、そのためには、地球規模の連帯、全世界のあらゆるアクターの参加によるパートナーシップ(5つ目のP)が不可欠であるということが謳われていると解釈される。
SDGsには“平和と公正”に焦点をあてたゴール16「持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する(Promote peaceful and inclusive societies for sustainable development, provide access to justice for all and build effective, accountable and inclusive institutions at all levels)」がある。ここで言及される“平和で包摂的な社会の促進”は、他のゴールと密接に関連するものであり、ゴール16の達成にはSDGs全体の進展が必要であるといえる。つまり、SDGsの達成に向けて包括的に取り組んでいくことが、結果的に紛争予防、平和構築を目指す前述の平時における③のための取り組み、積極的平和の実現につながっていく。国際社会は、それを構成する国家、企業、個人などのあらゆる主体の活動とその相互作用により成り立っている。今次事態を踏まえ、まずはウクライナへの軍事侵攻を一刻も早く終結させることが先決となるが、その紛争終結後の復興支援とともに恒久平和に向けての国際社会の結束が重要となる。
平和に向けた3つのアプローチ、①軍事的枠組み、②政治的枠組み、③経済・社会的枠組みは、いずれも重要ではあるが、戦争が起きる原因がない状態を実現する上で最も効力を発揮するのは③である。このような理解とともに、世界市民としての企業、個人という視点より、もう一度SDGsの意味を問うとともに、積極的平和の実現に向けて何ができるのか、についてこの機会に考えてみてはどうであろうか。国連の安保理については、常任理事国の拒否権という設立当初からの難題があり、なかなか機能しない。他方、SDGsは同じ国連の場で193の全加盟国の全会一致で採択された合意文書に記載される国際社会共通の目標である。決して一朝一夕で進むわけではないが、最終的には、国家間、世界市民同士の信頼と連帯、包摂的社会の形成が積極的平和の実現に向けた力になるはずである。平和は持続的な企業経営や個人の社会生活の前提条件でもある。企業、個人による小さくても意味のあるSDGsに向けた努力の継続と蓄積の結果が積極的平和の進展につながっていくのではないかと思う。

中村明

中村明(専任教授)

  • 専任教授(研究者教員)
  • 八千代エンジニヤリング株式会社事業統括本部海外事業部 顧問・統括技師長
  • 神戸大学非常勤講師(国際関係論)
  • 国際P2M学会副会長、理事
  • 土木学会、国際P2M学会、アジア交通学会、化学工学会の会員
  • 中学・高校でのSDGs・探究活動、自治体が中心となる地域の企業のSDGs推進に関与

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