1991年から始まったバブル崩壊において、企業における研究開発投資が大きく落ち込むとともに大学や国立試験研究機関の研究環境が劣悪であることが憂慮され、真の科学技術創造立国を目指し制定されたのが科学技術基本法です。
新年、明けましておめでとうございます。昨年6月の担当でしたが、12月に延期させていただき、更に掲載が年を越えて2月になり大変失礼しました。
この間の新型コロナ感染症の流行もあり、企業経営を取り巻く環境は激変してきております。企業環境の激変というと、2008年9月のリーマン・ブラザーズHDの経営破綻に始まるリーマンショック、2000年12月から翌年の1月にかけてのITバブルの崩壊、そして、1991年3月からのバブル崩壊が思い出されます。その中の1991年から始まったバブル崩壊において、企業における研究開発投資が大きく落ち込むとともに大学や国立試験研究機関の研究環境が劣悪であることが憂慮され、真の科学技術創造立国を目指し制定されたのが科学技術基本法です。その科学技術基本法が、昨年6月の国会で改正され、本年4月から施行されることになりました。
科学技術基本法って何、と思われる方も、Society5.0[i]については学んだことがあると思います。ドイツにおけるIndustrie4.0[ii]に刺激を受け、第5期科学技術基本計画[iii]の中で提唱された考え方です。この科学技術基本計画の策定を規定している根拠法が科学技術基本法です。この法律が、皆さんが本学MOTで学び推進しようとしているイノベーションの創出を、振興対象に加えるとともに法律の題名の中にもイノベーションを加えたという事です。これは、中小企業にとっても留意しておくべき変更です。以下に、簡単ですが、概要の概要を記載しておきます。
【その前に、中小企業基本法から見る中小企業政策の変遷】
中小企業基本法は、中小企業庁設置から15年後の1963年に制定されています。大企業と中小企業の生産性や賃金などの格差を是正することを政策理念として制定されました。
その後1999年12月には抜本的に改正され、その基本理念では、「多数の中小企業者が創意工夫を生かして経営の向上を図るための事業活動を行うことを通じて、新たな産業を創出し、就業の機会を増大させ、市場における競争を促進し、地域における経済の活性化を促進する等我が国経済の活力の維持及び強化に果たすべき重要な使命を有するもの」と定めました。この基本理念に基づき、国の施策の基本方針として、①創造的事業活動の促進、②経営基盤の強化、③経済的社会的変化への適応の円滑化、④資金供給の円滑化と自己資本の充実を図ることの4つを挙げています。中小企業を画一的に弱者とみるのではなく多様性を重視し、かつ中小企業支援が産業振興の一環であることを示しております。
一方、小規模事業者の存在は地域の経済社会にとって重要な存在であることを踏まえ、2013年の中小企業基本法の再度の改正に合わせ、2014年に小規模企業振興基本法が成立しました。この小規模企業振興基本法では、成長発展だけでなく小規模事業者の事業の持続的発展を基本原則として位置付けています。
このように、中小企業(中小企業者)と大企業との違いだけでなく、中小企業者の中にも大きな違いが出てきていることを示しています。ICT関連を中心とするスタートアップ企業の位置付けなども加えると、中小企業者の多様性に即し、多様な振興策・支援策を講じる必要が出てきていると言えます。それが、今回の科学技術基本法の改正に伴う、後述します日本版SBIR制度の根拠法の変更にも表れているのです。
【本年4月から科学技術基本法の名称が科学技術・イノベーション基本法に】
2020年6月に『近年の科学技術・イノベーションの急速な進展により、人間や社会の在り方と科学技術・イノベーションとの関係が密接不可分となっていることを踏まえ、「人文科学のみに係る科学技術」及び「イノベーションの創出」を「科学技術基本法」の振興の対象に加えるとともに、科学技術・イノベーション創出の振興方針として、分野特性への配慮、あらゆる分野の知見を用いた社会課題への対応といった事項を追加する「科学技術基本法等の一部を改正する法律」が成立しました。』[iv]この法改正は本年4月から施行されますが、この中の「人文科学のみに係る科学技術」及び「イノベーションの創出」とはどういう事でしょう。
【「人文科学のみに係る科学技術」及び「イノベーションの創出」】
《イノベーションの創出》
イノベーションの創出については、既に、2008年に策定された「科学技術・イノベーション活性化法」の第二条の5で、次のように定義されています。
「新商品の開発又は生産、新役務の開発又は提供、商品の新たな生産又は 販売の方式の導入、役務の新たな提供の方式の導入、新たな経営管理方法の導入等を通じて新たな価値を生み出し、経済社会の大きな変化を創出すること」
改正された「科学技術・イノベーション基本法」の第二条第一項でも同じく「この法律において『イノベーションの創出』とは、科学的な発見又は発明、新商品又は新役務の開発そのほかの創造的活動を通じて新たな価値を生み出し、これを普及することにより、経済社会の大きな変化を創出することをいう。」と定義しています[v]。MOTで学ばれている院生の方々はイノベーションの創出を目指して入学されているわけですが、法律のこのような改正とそれに基づく施策を活用するようにしてもらいたいと考えています。
なお、国では、グローバル化する社会課題の解決や日本の持続的発展を図るためにはイノベーションの重要性が高まっているとの認識のもと、イノベーション創出を基本法に加えることにしました。ビジネスイノベーションだけを指しているわけではないことも認識しておきましょう。
《人文科学のみに係る科学技術》
内閣府の資料『科学技術基本法の見直しの方向性について』(2019年10月16日)では、「科学」の範囲を下図[vi]のように捉えた上で、改正科学技術基本法(科学技術・イノベーション基本法)では、科学をおよそあらゆる学問の領域を含む広義の意味として定義しています。つまり、科学技術基本法における「人文科学」(人文学と社会科学とを合わせた概念)の中で、これまでの科学技術基本法が対象としてこなかった「人文科学のみに係る科学技術」も対象に加えるという事です。講義でも話しましたが、基本法がいう科学技術とは、「科学に裏打ちされた技術」の事ではなく「科学及び技術」の総体を意味しています。
改正科学技術・イノベーション基本法を策定するにあたっては、現代の諸課題に対峙し、豊かで持続可能な社会を実現するため、人間や社会を総合的に理解することが必要であり、人文科学自体の持続的振興が必要という事、イノベーションの創出にはプロセス全体にわたり自然科学と人文科学との連携・協創が必要との観点から、「人文科学のみに係る科学技術」も振興の対象に加えることになりました。
【科学技術基本計画も、第6期からは科学技術・イノベーション基本計画に】
最初に述べたSociety5.0を第5期の計画で取り上げた科学技術基本計画も科学技術・イノベーション基本計画に題名が変更になります[ⅶ]。丁度、この本年4月から第6期になりますので、第6期科学技術・イノベーション基本計画として策定されます。
なお、基本計画で定める事項について、改正前は以下の三項目(一、三、五ですが、改正後の条文に改めています。)が規定されていましたが、改正にあたり二と四の項目が追加されました。第6期基本計画策定に向けても、「新型コロナウイルス感染症への対応」とともに「研究力の向上」として、2020年1月の総合科学技術・イノベーション会議で決定された「研究力強化・若手研究者支援総合パッケージ」を策定推進していくことになっています[ⅷ]。
一 研究開発の推進に関する総合的な方針
二 次に掲げる人材の確保、養成及び資質の向上並びにその適切な処遇の確保に関し、政府が総合的かつ計画的に講ずべき施策
イ 研究者等
ロ 研究開発に係る支援を行う人材(イに該当する者を除く。)
ハ 研究開発の成果を活用した新たな事業の創出を行う人材
ニ 研究開発の成果を活用した新たな事業の創出に係る支援を行う人材
三 研究施設及び研究設備(以下「研究施設等」という。)の整備、研究開発に係る情報化の促進その他の研究開発の推進のための環境の整備に関し、政府が総合的かつ計画的に講ずべき施策
四 研究開発の成果の実用化及びこれによるイノベーションの創出の促進を図るための環境の整備に関し、政府が総合的かつ計画的に講ずべき施策
五 その他の科学技術・イノベーションの創出の振興に関し必要な事項
【日本版SBIR制度の根拠法を「科学技術・イノベーションの創出の活性化に関する法律」に移管[ⅸ]】
上記、科学技術・イノベーション基本法の改正に合わせ、イノベーションの創出に向けた制度の構築として、「産学官連携促進に向けた見直し」と「中小企業技術革新制度(日本版SBIR制度)の見直し」も行われます。
前者は研究開発法人の出資規定を整備し、産学官連携の活性化を目的とするもので、
後者は、1999年施行の中小企業等経営力強化法に基づき「イノベーションの創出」を目指している日本版SBIR( Small Business Innovation Research )制度の実効性向上のため、内閣府を司令塔に省庁連携の取り組みを強化することが目的になっています。そのため、根拠法も、科学技術・イノベーション活性化法に移管されます。これは、SBIR制度の重点を中小企業の経営強化からイノベーションの創出にシフトさせるということでもあります。
SBIR制度とは、米国において、1982年に創設された、省庁横断的・統一的に研究開発型のスタートアップ企業を支援する制度で、米国産業に多くのイノベーションもたらすのに寄与してきたと評価されています。例えば、移動体通信向け通信技術や半導体の設計開発を行い、急成長を遂げているクアルコムは、スタートアップの時期にSBIR制度による支援を100万ドル以上受けています。[ⅹ]
日本では、「国等の新技術に関する研究開発予算のうち、中小企業者等向けの「特定補助金等」を指定。毎年度「特定補助金等の支出目標」等を定めた「交付の方針」を閣議決定。特定補助金等を受けた中小企業者等を対象とした事業化支援を実施」[ⅺ]してきています。ただ、当初は各省庁の予算を積み上げただけの取り組みとなり、統一性に欠けていたことから、その改善を図っているところに、今回の改正となり、根拠法も移管されたという事です。具体的には、イノベーションの創出の観点から支出機会の増大を図るべき補助金等(特定新技術補助金等)の支出目標等に関する方針を閣議決定すること、政策課題の解決に資する革新的な研究開発等の促進のため、国等が研究開発課題を設定して中小企業者等に交付する指定補助金を指定することになっています。
[i] 第5期科学技術基本計画で日本が目指す未来社会として提唱された考え方で、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指しています。サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会としています。
(内閣府のWebサイトを参照しています。 https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/ )
[ii] ドイツ語のIndustrie4.0とは、ドイツ政府が2011年11月に公布した❝High-Tech Strategy 2020 Action Plan❞の中の一つの戦略的施策です。革新的な研究を推進することで技術的なイノベーションを起こし、ドイツの経済・産業面での高度な競争力を維持することを目的としています。
蒸気機関による工場の機械化が推進された第一次産業革命、電力の活用により大量生産が行われるようになった第二次産業革命、電気にITを加えてオートメーションが推進された第三次産業革命に対し、サイバーフィジカルシステムによる新たなモノづくりの推進が第四次産業革命で、IoTやAIの利用、スマートファクトリーの実現なども含まれます。もちろん、いずれの産業革命も工場での技術革新だけでなく、新たな技術革新が社会を変え、変化した社会が新たなニーズを生み、多様な新産業が勃興することを目指しています。
[iii] 2016年度~2020年度までの計画。
[iv] 内閣府の科学技術政策の中の「科学技術・イノベーション基本法、科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律」に係るWebサイトから引用。
( https://www8.cao.go.jp/cstp/cst/kihonhou/mokuji.html )
[v] イノベーションというと、はじめてこの概念の重要性を論じた経済学者シュンペーターの「新結合」という考え方を思い出します。シュンペーターは『経済発展の理論』の中で、「新結合」を新しい財貨(生産物)や新しい生産方法、新しい販路(市場)の開拓、原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得、新しい組織の実現の五つに類型化しています。
[vi] 自然科学というと数学、物理学、化学、生物学、天文学、地球科学、農学、工学、医歯薬学、情報学等を指すのが一般的な理解です。しかし、数学のように抽象的知識に関する学問は他の自然科学のように観察可能な対象に対する学問でないことから別にする考え方もあります。ただ、今日では物理学に加えて情報学なども数学体系を活用していることから、数学を自然科学の一分野として捉えるのが政策的には妥当かもしれません。
[ⅶ] 改正前には第二章第九条で科学技術基本計画を策定しなければならないとされていますが、改正後は第二章第十二条で科学技術・イノベーション基本計画を策定しなければならないと改められています。
[ⅷ] 文部科学省資料「第6期科学技術基本計画に向けた考え方」より。
[ⅸ] この項については、内閣府の資料「科学技術基本法等の一部を改正する法律の概要」から内容の多くを引用・参考にしています。
[ⅹ] 内閣府・中小企業庁の2019年11月8日「日本版SBIR制度の見直しについて」を参考にしています。
[ⅺ] 同上