NIT MOT Letter #76

神田界隈に想いを寄せて:技・知・趣

  • 石井 宏宗
  • 2022年11月14日

日本工業大学専門職大学院(以下NIT MOT)は神田神保町に学舎を構える。校史をみると、創立は水道橋、関東大震災前には錦町に学び舎があったという。大学本校は宮代、中高は駒場であるが、我が校の原点回帰の場が神田の地ということになる。神田神保町は言わずもがな本の街、とりわけ世界的にも稀有な古書の聖地である。ところがNIT MOTの院生と話をしていると、神田神保町とエリアを広げた神田界隈について、あまり親しくないようである。せっかくの神田界隈での学生生活、もったいないのではないか。そこで小生の想い出がてら、徒然なるママ、神田界隈の話をしようと思う。

 日本工業大学専門職大学院(以下NIT MOT)は神田神保町に学舎を構える。校史をみると、創立は水道橋、関東大震災前には錦町に学び舎があったという。大学本校は宮代、中高は駒場であるが、我が校の原点回帰の場が神田の地ということになる。神田神保町は言わずもがな本の街、とりわけ世界的にも稀有な古書の聖地である。ところがNIT MOTの院生と話をしていると、神田神保町とエリアを広げた神田界隈について、あまり親しくないようである。せっかくの神田界隈での学生生活、もったいないのではないか。そこで小生の想い出がてら、徒然なるママ、神田界隈の話をしようと思う。

 

1.技の街

 神田界隈は意外にも「技」の街である。その論拠は、秋葉原いわゆるアキバにある。アキバといえば今やサブカルのメッカとなり、メイドカフェ、地下アイドル、コスプレイヤー、いわゆるオタクが推す街と化した。しかしアキバは電子部品の聖地であることを忘れてはならない。戦前のアキバの主は青果市場であるが、戦後はGHQ払い下げの電子部品の露天商がひしめいた。いまでもラジオデパートやラジオセンターに昔日の電子部品店舗を観ることができる。露天商たちは高度成長期の産業界から、パソコン世代のエレクトロニクス分野までを支えてきた。多くの企業は発展を遂げ世界進出を果たしたが、いまもアキバ付近に本社を構える。我が国エレクトロニクスの縁の下の力持ち、アキバは健在なのである。

 小生が初めてアキバを訪れたのは小学校5年生、いまは亡きオヤジに連れられてである。石丸電気、ナカウラ、ヤマギワ、電飾看板が色濃い電気街アキバは小生を虜にした。ヒマがあれば一人国電でアキバに出向き、ラジオデパートとラジオセンターを冷やかし、須田町の旧万世橋駅、薄暗い交通博物館で誰もいない0系座席に座っていた。小学校高学年から中学生まで、小生の趣味は譲り受けた旧型バラコンの修理であった。ショートしたであろう煤けた真空管やディスクリート部品をラジオデパートに持参し、同類仕様の部品を購入していた。煤けた部品をみせると露天商が部品を探してくれる。自宅に帰るとすぐに半田ごてで修理してみる(勝率は50%)。その時代、並行してDOS/Vの周辺部品が露店で売られるようになってきた。ガシェットに興味が沸く。エレクトロニクスの進歩、肌身をもって教えてくれた街である。いまでも松住町の高架線橋をみると、オヤジと初めてきた頃のアキバの街が脳裏に浮かぶ。

 

2.知の街

 神田界隈は古書街を中心として大学から専門学校までひしめく、言わずとしれた我が国最大の「知」の街といえる。我が校付近では、お隣の共立女子、錦町の電機大学、俎橋の専修大学、三崎町の日本大学、女坂下の神田女学園、あちこち点在する大原簿記学校、伊藤和夫懐かしき駿台予備校など枚挙にいとまがない。内堀方面には東大発祥の地、野球がはじめて行われたとされる場に旧七帝大OB御用達、学士会館もある(私学卒の小生には別世界)。そもそも聖橋の先の孔子廟こと湯島聖堂は、江戸幕府の昌平坂学問所、我が国における最高学府の原点である。ちなみに湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋ゆえに聖橋という。一橋大学や中央大学は移転してしまったが元来は神田にあった。これら知の蒸留、プラットフォームとして神保町の古書街は生まれたのである。ちなみに古書街はB29の空襲から逃れた。それは米国側の意向、ご丁寧にも意図的に神保町を空襲から外したという。文化と知の源泉は破壊せず、京都と神保町は並列の存在なのだ。なお古書街の看板建築はすべて北側を向いている。これは本が日焼けしないためだと言われている。神保町の知は細部に聡明な先達の魂が宿る。

 小生が古書街に通いはじめたのは高校生時代である。中学時代からのアキバから須田町を抜け、小川町から神保町へ行動範囲を拡大した。目的は芳賀書店ではなく矢口書店である。高校時代の小生はシュールな自主映画製作に青春をかけていた。矢口書店には映画関連の書籍や台本などがあり、映画ネタ探しには至福の場である。大学時代は三崎町の某中小予備校で高校生向け講座講師(英文法)をして生計を立てていた。講義が終わると講師同僚と駒忠の安酒泥酔という定番コースは懐かしくもある。大学院博士後期課程からマレーシア工科大学DMP特任講師まで駿河台で過ごすことになった。そして今、ご縁あり我が校で教鞭を執る。どうもここから離れられないらしい。

 

3.趣の街

 最後、神田界隈の「趣」について。中学時代の小生は、文化学院への進学を本気で考えていた時期がある。絵画や意匠、創作活動だけが得意な少年であった。アキバの電気街から昌平坂をくぐり抜け、湯島聖堂とニコライ堂の聖橋、お茶の水のレモン画翠を冷やかし、憧れの文化学院とアテネフランセ、異国のような空気感、和製モンマルトルを闊歩する自称芸術家のマセガキである。高校時代は矢口書店詣でがてらエチオピアの珈琲に感嘆した。現在のエチオピアはカレー屋で繁盛している。しかし小生にとってのエチオピアは老夫婦の営む焙煎こだわりの珈琲屋であった。主役は焙煎珈琲で脇役がカレー。その立ち位置は小生のなかでは不変である。連雀町には、やぶ蕎麦、まつや、池波正太郎が愛した戦前からの老舗が並ぶが小生には少々敷居が高い。裏神保町の酔の助が身の丈には合っていた。中華街としての神田神保町も外せない。漢陽楼は若き日の孫文、周恩来が通っていたことで知られる。明治以降、清朝に絶望した優秀な若手思想家が大陸から神田界隈に集結していた。

 この界隈は歴史的建造地区でもある。あげればキリがないが個人的好みとして、無残にも居酒屋が入居する研数学館、神田女学園傍の元交番、カトリック神田教会、くねくね女坂、奇抜なアテネフランセ、ファサードだけ残る文化学院、ニコライ堂・湯島聖堂・聖橋の三点セット、松住町高架線橋、万世橋、高架橋下ラジオセンター、ラジオデパート、そして須田町、連雀町、小川町から神保町にわずか点在する看板建築、である。

 小生40数年にわたる神田界隈との深い縁を顧みた。技・知・趣の多様な街、文化文明と人を育み続ける街、それが神田界隈という結論である。NIT MOTで学ぶだけではなく、神田界隈で学ぶ愉しみがあるのかも知れない。コンデンスされた文化文明の場で、かけがえのない、素晴らしい時を過ごしてほしいと切に願う。

 

 

「松住町高架線橋画稿」
MOTレター 石井先生.png

石井宏宗

石井宏宗(専任教授)

[経営実務]

 サンシン電気株式会社 代表取締役社長

 三新電気香港有限公司 董事長CEO

 株式会社エスシーツー 代表取締役社長

 新光和株式会社 代表取締役社長

 CEBU SHINKOWA Inc. CEO

 新東ホールディングス株式会社 代表取締役社長

[学術研究]

 博士(経営学)

 日本経営実務研究学会 理事

 日本経営監査学会 理事

 日本地方公会計学会 理事

 一般社団法人ICTマネジメント研究会 理事長

 全日本能率連盟2021年度「顕彰牌」受賞

[教育活動]

 日本工業大学専門職大学院MOT 専任教授

 一般社団法人ICTマネジメント研究会理事長

 信州大学 特別講師

 ビズアップ総研 講座講師

 元・明治大学/マレーシア工科大学 DMP特任講師

 元・明海大学非常勤講師 他

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